概要

タイでの経験から学ぶ「人」の重要性 #02 【vol.5 深井雅裕氏】

ロジ人では物流テックと分類される業界の著名人、サービスをインタビューしていきます。今回は、日清食品ホールディングスおよび日清食品の物流とウェルビーイングを牽引する深井雅裕​​​​​​さんにインタビューをしていきます。#02ではタイ日清で社長に就任した経験から得た「人を大事にする心得」についてお聞きしていきたいと思います。

▼ 深井雅裕氏

日清食品株式会社取締役Well-being推進部長 兼 サプライチェーン企画部 管掌 、日清食品ホールディングス株式会社サプライチェーン構造改革プロジェクト部長 兼 DX推進部 部長を兼任。1989年に法政大学を卒業、同年入社。低温事業部営業課、チルド食品事業部企画部、営業本部を経てタイ日清現地法人社長に就任。2015年に帰国し、日清食品株式会社にて営業戦略部を経て現職に。ウェルビーイングを課題にサプライチェーンの構造改革や組織改革に尽力。

タイ人も日本人も”人”

#01では今、サプライチェーンの変革期であること、それから人との「繋がり」やそれぞれの「強み」を生かしながら変革期を乗り越えていかれていることをお話いただきました。(#01の記事はコチラ)深井さんが、人を重要視するのはなぜでしょうか。

僕がなんでこんなに「人、人」といっているかというと、物流に携わるもっと前、2012年から3年ぐらいタイに行ったことがあって。

ちょうどそのとき、合弁会社から独資企業に変わったタイミングだったものですから、本社工場からの移転と人の採用、それから元々一緒に会社を経営していた財閥がまかなっていた人事や総務の仕事、それらを全部自分たちでやることになりました。

当時私はタイに行くまでただの営業課長だったので、経営も知らなければ、何も知りません。その中で一人ぽんっと投げ込まれて「あなたは社長だ。会社をやりなさい」といわれました。最初は言語の問題や諸々の問題を心配していたんですけれども、最後に感じたのはタイ人だろうが日本人だろうが、やっぱり人なんですよ。

信頼関係を作って、彼らから能動的に、いかにワクワク楽しく、自分ゴト化して働いてもらえるか。国は関係ないなと思いました。帰任時の経営会議で帰国の挨拶をして、何をやりたいのか話す際に「人作りをやりたいです」とCEOにいったんですよ。その後、もう7年ぐらいやり続けていて、今後もやりたいですよね。

苦難を乗り越えできた仲間

ー ありがとうございます。今まで大変だったことを教えてください。

昔、今の日清チルドや日清冷凍の元になった事業部で、新しく肉まんとか杏仁豆腐を作って販売していたことも大変でしたが、タイで工場をゼロから造ったことは大変でした…工場を造るってすごく大変で。

まず許認可ひとつとっても、いろんな許認可があるわけです。その許認可を取るために行政とどう関わるかだったり、建築知識もない状態で建築会社とのミーティングでデータを見せられて、タイ語もわからないのにワーっとしゃべられたり。

さらにはちょうどタイが洪水直後の年だったので、ワーカーもいなければ、建築資材もありませんでした。でも東京の本社からは「このタイミングで工場を稼働させて、このタイミングで新製品出す」と決められているわけですよ。計画通り建築を終わらせて、工場を動かすのが、もうとにかく大変でした。

その後タイ日清で袋麺を売り出すために、タイのいろんな階層の方のお宅訪問をしました。「普段の食生活を教えてください」とインタビューをしながら、冷蔵庫を開けて「失礼します、これなんですか」って聞いてみたり(笑)

袋麺ユーザーに「普段通り作って食べてみてください」とお願いすると、調味料を入れて食べてくれるので、一口もらってどんな味か確かめてみたり。そんなことをしながら商品を決めて、CMを作り、搬送計画を作り、全国へ営業するところまで自分たちで行いました。

その一方で合弁相手が抜けて人事制度のノウハウもなくなってしまっていたので、いろんなタイの現地にいる日系企業を訪問して、人事制度を教えてもらいました。人事の資料をもらってきて、参考にしながら人事制度、等級制度、昇給制度を自分で作りました。

今と一緒ですよ。今もサプライチェーンをどうやっているかをいろんなメーカーの方にお聞きしています。当時も何の知識もなく関わった仕事ですから、今に通じる印象に残っている仕事ですね。今、こんなに仕事が楽しくできているのは、やはりタイ時代の経験があると思っています。

ー タイではかなりご苦労なさったのだと想像できます。

もうとにかくお金もなかったんですよ。タイの工場に巨額の投資をして、売上も微々たるものですし、利益も出ない。恥ずかしい話、工場の電気を一個ずつ消したりしていました。コストの分析をして、エアコンの温度を調節したり。

工場にかかるユーティリティコストの半分って、実はエアコンの電気代なんですよ。日本では考えられませんが、BS(貸借対照表)でキャッシュフローを見て「◯ヶ月後にキャッシュがショートするかもしれない」と資金繰りを本気でやっていました。

タイでは毎年1度、クリスマスパーティーを大々的にやるんです。工場で全社員を集めて、バンドを入れて、社員みんながドレスアップして、ダンスパーティーみたいな形で。それを不安そうに「今年もやれますか」って社員が聞いてくるんですね。

それぐらい心配をかけていました。辛かったですよね。パーティーはお金がなくてもやりましたけどね。社員にパーティーを開催することでお礼の気持ちを伝えたかったし、何より私が一番楽しんでいましたから(笑)

あのときがあって今、精神的にも強くなりました。いろんな部署の仲間がいっぱいできたので、それが今の私の支えです。当時一緒に仕事をしたいろんな部署の仲間がいつも助けてくれます。タイも物流と一緒で、空港で半べそかくぐらいまったく行きたくなかったんですけどね。一年も経たないうちに「日本に帰りたくない」と言っていました。

自分らしく働くことが会社の利益になる

ー そんなタイで得られた教訓はありますか。

タイはビジネスも動きが早いんですよ。日本は社内も社外も動きが遅い。タイはもう決断したらパパっと動いていくので、自分がやったことがすぐに結果として現れます。日本は忍耐がいりますよね。サプライチェーンの改革も「とりあえずやってみよう」みたいなのがない。

今の時代、確実性の高いものってあまりないですし、逆に確実性の高いものをやっても面白くない、と私は思っています。当社は日本の中でも割と自由ですよ。うちの社風だと思います。創業者がベンチャーとして作った会社なので、その精神がいまだに残っているんです。「失敗していいんだよ、とりあえずやってみよう」って。

今、なんとなく大企業っぽくなって、新しく入ってきた若い方は大企業だと思っているんですが、我々はまったくその気がありません。まだまだベンチャー企業のように「新しい切り口で食品産業を変えよう」というくらいの気持ちでやっています。

失敗して怒られたとしても、別に一瞬で終わりじゃないですか。だったら自分の好きなことをやった方がいい。”いかに自分らしく働くか”を、一番大事にしたいです。

売上を上げるとか、物流費をこの枠に収めるとか、もちろんそれも結果ですけれども、利益を最初に追いかけると今の時代できることってあまりないでしょう。それぞれが自分の思いを持って、自分らしく働けたら、それが会社の利益になるはずです。そんなチームが作れたら、いいなと思っています。

ー とても共感しました。経営に対して真剣に向き合い、基本的にはやれることは全部やろうとされてきたご経験が、人作りも含め、組織作り、サプライチェーンの構造改革、全部にリンクしているんだろうと思います。

元々、チルドと冷凍をやっていた低温事業部って当時赤字だったんですよ。本当に手作りで始めた事業部で、リソースもお金もありませんでした。日本に帰ってきてみたら優秀な部下がいっぱいいて、社内外で自分と同じ思いを持った人がたくさんいて。何もない時代があったからこそ、今は恵まれていると感じます。

営業戦略部を立ち上げた2017年ごろから本当に会社も変わったと思います。人事制度が変わったところも大きいです。まだ満足なんてしていませんが、変わってきていることを実感しているので、この先はもっとスピード感を持って変えられると思っています。

今、チームの人数が増えて、私が把握していないところでも皆が自走しています。もう旗を振るだけでいいんですよね。

最初の頃はウェルビーイングに関して、社長に「深井さん、全国を周って『幸せか?』とか聞いているんだろう」とからかわれていましたけど、今は社内で「幸せ」という言葉を口にしても、そんなにおかしくない状況です。そんなところに居させてもらえるのが、ありがたいです。

(インタビュアー:横畠)

続き▶︎ 日清食品のウェルビーイングとは #03